さあやっと立ち上がりました、
my favoriteのコーナー!!
ここでは僕に多大な影響を与えてくれたアーティストの紹介と、お勧めのアーティスト、お気に入りのアルバム、ライブ等を紹介しようと思っています。
最初は僕の音楽遍歴から。
まずは、いつ頃から音楽を聞きはじめたか? 多分小学校1年の頃だと記憶してます。家にレコードプレイヤー(ステレオ・セットでは無い、モノラルです!!)があって、小学校から帰って来たらよく1人で聞いてました。で、何を聞いていたかと言うと、軍歌とカントリー。良く『ラバウル小歌』とか『敵は幾万』『加藤隼戦闘隊』『軍艦マーチ』などをかっこいいと思いながら歌ってました。特にマーチは大好きで『星条旗よ永遠なれ』『双頭の鷲の旗の下に』『錨をあげて』『クワイ河・マーチ』などを聞きまくってました。別に右の人じゃ無いですよ。ただただ曲が良かったんですね。これが!!!
同時にカントリー&ウエスタンにもハマっていましたね〜。ブラザース・フォー、キングストン・トリオとか、忘れてしまいましたが。何故こんな極端な音楽を聞いていたかと言うと、それらのレコードしか家に無かったからです。歌謡曲とか演歌のレコードとかが全く無くてこれしか聴けなかったんです。うちの両親は音楽に全く縁の無い人たちで、流行歌とか洋楽とか知らなかったみたいで、たまたま会社でレコード販売があって義理で買ったレコードがこれらだったと言う事みたいです。でもこれがのちに僕が音楽で食うきっかけに成る訳ですが。
そして、ある時おやじがまた会社でレコードを買って来るんですが、今度はLP12枚組セットのレコード、『ワールド・ポピュラー・ミュージック』(だったと思いますが、定かでは無い)と言う大層なもので、映画音楽からカントリー、シュープリームス(オリジナル音源)、ビートルズ(さすがにインスト)、ラテンもあった様な気がします。その中で特に気に入ったのが「007シリーズ」でした。当時映画、テレビでスパイものが大はやりで、それらのテーマソングがカッコ良く、特に007シリーズは大のお気に入りでした。でも映画自身を観たのはもっと年をとってからでしたが。
自分のお金で初めて買ったレコードは「世界のマーチ」ミニLP版だったと思います。マーチのお陰でブラスサウンドに慣れ親しむ事が出来、これがのちにシカゴ、BST、などのブラス・ロックやタワー・オブ・パワー、FUNK、JAZZが好きになって行ったように思います。
小学校5、6年ごろ一番影響をうけたのが、TV番組の「モンキーズ・ショウ」、「サンダーバード」、「0011ナポレオン・ソロ」、「原潜シービュー号」、「スパイ大作戦」、「宇宙家族ロビンソン」、「奥様は魔女」など外国TV番組しか見て無かったような、そしてテーマソングがみんなカッコ良かったのも大きな要因でしょうか。特にモンキーズは当時僕はビートルズより上手いし偉大だと思っていたぐらいです。テレビの影響は恐ろしい。モンキーズのおかげで日本のグループ・サウンズを聞かずに洋楽主体に成ったと思います。そしてバンドとゆうものに興味を持ち音楽にのめり込むきっかけだったように思います。
生まれてはじめて買ったLPがカーペンターズのベスト盤で、お年玉で買ったと思います。何故カーペンターズを知ったのか全く覚えていないのですが、「雨の月曜日」をいたく気に入って、清水の舞台から飛び降りる気でお金を払った事を覚えています。カーペンターズのハーモニーの美しさに魅了されコーラスに興味を持つきっかけになったのは確実です。
この頃から、ビートルズが非常に騒がれ、だんだん興味が出だしテレビでビートルズの映画「ア・ハーディズ・ナイト」が放映されてりして初期のベスト盤を買って聞き込みました。この頃家もステレオセットを買い、FM放送を聞けるように成り、よくNHKのポップス番組を聞いてました。やはりビートルズがダントツに流れていた様におもいます。「イェスタデイ」、「ミッシェル」、「ヘイ・ジュード」、「レット・イット・ビー」、「サムシング」、「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」などの有名曲は大好きでした。
中学生に成り、友達の中にロック好きな奴が出てきだし、その影響で僕もロックの世界には入り出します。1970年頃でハードロック全盛時代になろうとゆう頃。既にビートルズは解散し、日本に外国のロックバンドがちょこちょこきだした頃です。最初、カペンターズ、ビートルズ、映画音楽好きの僕にはロックの何処が良いのか理解できなかったんですが、シカゴの「長い夜」を深夜放送で聞いた時に、そのブラスサウンドに惹かれシカゴのレコードを友達から借りテープに録リ聞きまくりました。それまでのビートルズ、カーペンターズと違い、ビートの効いたパンチの有るサウンドにやられのめり込みます。
しかし、シカゴのアルバムは4作目迄全部2枚組だったので、当時のこずかいでは買う事が出来なかったのを覚えています。だから特にテープを聞き込みました。「長い夜」、「クェッスチョンズ67/68」、「ビギニングス」、「アイム・ア・マン」等、1曲7分を超えるんですが、細かいフレーズを完璧に歌える程聞きました。この頃からギターに興味がで出すんですが、その原因がシカゴのギタリスト・テリー・キャスで、大変憧れました。
中学3年ごろグランド・ファンク・レイルロード(GFR)のライブ盤を友達の家で、結構大きな音で聞いた時に何かが弾けハードロックにのめり込み出します。既にギタリストに憧れていた身としては、ギターの目立つハードロックは最高の音楽に思えました。特に当時
は3人編成のバンドがはやりでクリーム、ジミ・ヘンドリックス、CCR、など有名でその中でも僕はGFRが好きでした。1曲めの「ア−・ユー・レディ」のかっこ良さはこれぞロック!!としか言い様が有りません。「孤独の叫び」のイントロ、ギターソロも当時衝撃的でした。
そのころ、高校受験の為に夜遅く迄勉強の真似事をやりながら、AM深夜放送を毎日聞いていたんですが、その頃よく流れていて好きだったのは、シカゴ、GFR、CCR、サンタナ、バックマン・ターナー・オーバードライブ、TREX、ローリング・ストーンズ、などです。この頃はブラック・ミュージック等全く知らなく、あまり放送されていなかったように思います。当時の関西のラジオは電話リクエスト形式が多くリクエストする人が少なかったんでしょう。その頃特にラジオで気に入ったバンドはTREXでマークボラン(Gt/Vo)が好きでした。当時グラムロックと呼ばれていてデビット・ボーイなんかもその1人でサウンドでカテゴライズされたとゆうよりは、ファッションでしょうか。その他にスゥイート、スレイド、アリス・クーパー、なんか気にいっていました。しかしレコードを買ったのはTREXだけでしたね。サウンドがヘビーでシングルしか無いですが、「チルドレン・オブ・ザ・レボリューション」なんかはかなりハマってました。この頃からとにかくヘビーな音で無いとダメに成って行ったみたいです。
初めて買ったハード・ロックのアルバムは、GFRの「イン・タイム」名曲「ハート・ブレイカー」のスタジオ録音が入ってるやつで、40才以上でロックが好きで、ギターを弾く人なら、1度は弾いた事が有ると思います。当時まだエレキ・ギターを持って無い頃で、クラシック・ギターでコードの練習をしていましたが、人さし指で6本の弦を1度に押さえるのに苦労してました。この曲はその練習にもってこいで、気分だけはハードロッカーでした。そうそう初めてボーカリストを意識したのもこの曲です。ビートルズやカーペンターズ、シカゴ等よく歌っていましたが、鼻歌程度で、腹から声を出して歌うとゆう事を少しずつやりだしたのはこの曲が初めてで、マーク・ファーナ−とゆう人がギターと歌をやっていたんですが、はじめて歌が上手いとゆう事に気ずいた人です。それまでは好きな曲やアーティストだったらすべてが上手いと思い込んでいたような気がします。今思えばこの曲が音楽人生の原点かも知れません。
当時まだ来日するロックアーティストはほとんど無く、このGFRが、その口火を切った形に成ったと記憶しています。伝説に成った後楽園スタジアムのコンサート、雷雨で土砂降りの中での3万人熱狂ライブ!ちょうどライブアルバム発売直後で、レコードそのままのライブが繰り広げられたらしいです。大阪球場でも晴天だった空が、GFRが始まる時には土砂降りの嵐に成ったと、コンサートに行った友達が言ってたのを思い出します。まさに日本のロック時代の幕開けを飾ったバンドでした。70年代アメリカン・ハードロックを代表するバンドでしょう。未だに僕のアイドルバンドです。
そして、初めて買ったシングル盤がディ−プ・パープルの「ブラック・ナイト」。最近でも缶コーヒーのTVCMでイントロだけ使われていたりするほどポピュラ−な曲で、当時アルバムには入って無く、シングルのみの発売だったような気がします。ディ−プ・パープルとゆうと、「ハイウェイ・スター」「スモーク・オン・ザ・ウォータ−」が有名ですが、当時深夜放送のリクエストで断トツのリクエストを受けていました。この曲なければディ−プ・パープル無しと言えるんじゃ無いでしょうか。この頃からリードギターのソロ・パートをコピーしようと悪戦苦闘してました。
高校生1年になり直ぐにディ−プ・パープルの「ライブ・イン・
ジャパン」が発売され完全にハードロック野郎と化してしまいます。しかし頭は男子校なので丸坊主でしたけど。(当時は長髪禁止でしたから)当時のこずかいで日本版2枚組のレコードは重荷で、少し安い輸入版(輸入版は「メード・イン・ジャパン」と成っていてジャケットが違いました)を買ったのを覚えています。このころからアルバイトをやるように成りだし、お金が少し自由に使え出すと、レコードを集めるのが趣味になっていきだします。全部のアルバムを集めようと初めて思ったのが、このディープ・パープルで結局集める前に興味が無くなってしまい第一期ディープ・パープルとリッチー・ブラックモアー(ギタリスト)が脱退してからのアルバムを買わずに来てしまいました。「チャイルド・イン・タイム」でのボーカルのイアン・ギランを結構意識して歌っていましたが、この曲で自分は高い声が出るんだとゆう事を認識した最初でしょうか。今でも「スピード・キング」、「ファイアー・ボール」、「スペース・トラッキン」、「レイジー」、「ウーマン・フロム・トーキョウ」、「バーン」なんか大好きですね。今でもGFRの「グランド・ファンク・ライブアルバム」とディ−プ・パープルの「ライブ・イン・ジャパン」は良く聞きます。どちらもロック史上に残る名ライブ盤じゃないでしょうか。
この頃(高校2年)に成ると完全にハードロック野郎と化していて、坊主頭でバンドを結成しレコード店と楽器屋に入り浸りでした。ハードロックも全盛の時代で、雑誌やテレビでも映像や情報がかなり出て来る良い時代に成っていました。
しかし今考えてみるとハードロックにハマっていた期間は4、5年ぐらいしかなくR&B、FUNKにハマって早25年程、あまり期間的には違いが無い気がします。若い頃の時間密度は今と大分違いが有るみたいですね。
僕のロック・アイドルバンドはGFR、ディープ・パープルですが、他にも好きだったバンドは一杯有ります。やはりレッド・ツッエペリンは外せないでしょう。
僕にとってはこの4枚目がツッエペリンで、親戚の家でこれを聞かしてもらった時の衝撃は今でも忘れません。「ブラック・ドック」のヘビーさにやられ、とくに「天国への階段」でノックアウト状態で、B面はほとんど覚えていません。当時ロックでバラード系とゆうのはあまり重要視されていなかったんですが、この曲でその考えが僕は覆されました。まあこの曲の後半は物凄くヘビーでハードな展開に成るんですが! レッド・ツッエペリンも良くギターをコピーしました。ボーカルはキーが高すぎ、歌おうとすると鶏の断末魔に成るので歌いませんでしたね。
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