1970年代のイギリスのグループでユーライア・ヒープもハマったバンドの1つですね。当時はハードロックとプログレッシブ・ロックが人気を分け合っていましたが、このバンドは丁度それらの中間ぐらい+ジャズ・フュージョンとゆう感じでした。初期のアルバムはプログレ+ジャズ色が強く、こった曲作りをしていました。又中期の頃の「対自核」「7月の朝」「イージー・リビング」など大好きな曲でしたね。 大ヒット曲『対自核』をふくむアルバム『ルック・アウト・ユアセルフ』などはハードロック色の強いバンドに成っていました。僕は『ユーライア・ヒープ・ライブ』から逆に聞いて行ったので初期のアルバムが非常に新鮮に聞こえました。この辺が後にブラック系に通じるジャズ臭さに対してのアレルギーを消してくれる役目をしてくれたと思います。またこのバンドのボーカリスト、デビット・バイロンも非常に歌の上手い人で良く伸びるクリアなハイトーンボイスの持ち主で、好きな1人でしたね。 少しジャズっぽい2枚目のアルバム『ソウルズべリー』が特に好きで、良くバンドで演奏してました。結構マニアックなアルバムで、それを演奏してたのは日本の中でも僕のバンドぐらいでは無いでしょうか。このユーライア・ヒープも長くやっているんですが(今も健在)70年代中期が全盛期でボーカルのデビットバイロンが脱退してからはかなりパワーダウンになってしまいました。 70年代ブリティッシュ・ロック史で忘れては成らないのが、世界3大ギタリストという呼び名でエリック・クラプトン、ジェフ・ベック、ジミ−・ペイジが讃えられていました(日本だけだと思いますが)。3人ともヤード・バーズと言うブリティッシュ・ブルースバンドの出身で3人同時に在籍しては居なかったみたいですが、大変名門バンドみたいで(僕自身はあまり聞く機会が無かった)3人とも脱退したのち自分のバンドをそれぞれ持ち大活躍となり、3大ギタリストと呼ばれるように成ったみたいです。当時中学生だった僕は雑誌の記事、見出しに踊らされ真剣に世界一のギタリスト達と思っていました。まあのちに片寄った見方と判りましたが。その1人ジミー・ペイジはレッド・ツェぺリンのギタリストとして名を成します。そして今をときめくエリック・クラプトンは、クリームを結成します。 今40代でエレキギターを持った事の有る人は、1度はこの「サンシャイン・オブ・ユア・ラブ」のイントロフレーズをひいた事が有るのでは無いでしょうかでしょう。ディープ・パープルの「スモーク・オン・ザ・ウォーター」とならぶ名初心者練習曲と思っています(勿論両曲ともロック史に惨然と輝く名曲だと思っていますし、日本でロックを一般的に浸透させたと言う事でも非常なる功績を上げた曲だと思います。) このクリームはブルースを基にした少しハードな3人編成のロックバンドで、当時流行りだした各パートの非常に長いアドリブ・ソロプレイをライブ演奏でフューチャ−し有名に成りました。スタジオ録音は結構コンパクトな演奏で、当時まだ珍しかった多重録音を上手く使い3人編成とは思わせないサウンドに成っていました。ライブでのクラプトンの長いギターソロがやはり有名で、当時イギリスのギタリストのソロは結構ガチガチしたスムースでは無いソロが多い中、クラプトンのそれは驚くほどスムースで多彩なフレーズに溢れたソロでギタリスト皆の憧れでしたね。 ベースのジャック・ブルースも多彩な人で、ボーカル、作詞、作曲をこなし、僕は結構歌が好きでした。ドラムのジンジャー・ベ−カーのプレイもなんとも言えず、ジャズっぽいサウンドでシンプルなおかずを使い、余りタイトで無いビートで攻めるスタイルでした。このタイコのサウンドの影響は当時大でしたね。ロック史上最も偉大なトリオバンドでしょう。ソロに成ってからのクラプトンの活躍はもうみなさん良く御存じでしょう。文句のつけようがないですね。余りにもの快進撃なのでこの辺にしと来ます。 僕の中では70年代初頭から中期迄はブリティッシュロックが中心のイメージが非常に強くて(今考えれば洋楽の雑誌なんかは1〜2誌しか無く、編集者の意向でなんとでも操作ができるし、イギリス寄りの編集だった様な。当然ロックを紹介する放送メディアなんかもほとんどNHK・FMぐらいで<FM・大阪・東京の『ロックオン』だったかそんな名前の番組がアルバムまるまる1枚放送してくれる唯一の番組だった気がします。>まあアメリカンロックはあまりぱっとしないイメージでした。 そして世界3大ギタリスト最後のジェフ・ベックです。個人的にはこのジェフ・ベックの影響が3大ギタリストの中で1番大きいです。しかしベック自身のプレイよりも第2期ジェフ・ベック・グループのサウンドにですが。まずヤード・バーズを抜けてから第一期ジェフ・ベック・グループを結成。この時のボーカルがあのロッド・スチュワートです。サウンド的にはロッド・スチュワートが後に自分で結成するフェイセスのロックンロールサウンドとヤード・バーズのブルース・ロックとの中間ぐらいで、僕にはあまりピンと来ない音でした。 のちに第2期ジェフ・ベック・グループを結成。このグループの音がいきなり様変わりし、ジェフ・ベックがかなりのソウル好きとは聞いていましたが、それが実現されただけでは無くソウル、R&B、ジャズとハード・ロックの正に融合しきった音で、当時としてはかなり進んだ音でした。世間ではあんまり評判良く無かったんですが、のちに再評価されてるみたいです。未だ世間に、クロスオーバーとかフュ−ジョンとゆう表現が無い時代でしたからしょうが無いかも知れませんが。サウンドが変わった最大の要因としては黒人のメンバーを2人とジャズ出身のキーボードィストの加入でしょうか。 黒人のメンバーはボーカルとベーシストで非常にソウルフルで僕個人としては初めて真剣に黒人の演奏を聞き込んだ時でした。キーボードも非常にセンスのいい人で、第2期ジェフ・ベック・グループのサウンドを決定ずけていました。そしてのちにブリティシュ・ハード・ロックの代表ドラマーに成ったコージー・パウエルが加入しておりメンバー的にもバランスのとれたクロスオーバー・バンドに成っていました。 のちに又アメリカのバンド『カクタス』のも元メンバーたちと『ベック・ボガード&アピス』というハード・ロック・バンドを結成するんですが、これが不運なバンドで、テクニック的にはクリーム、ツェッペリンを凌駕する程でしたが、サウンド的にはもろハードロックでも無く、ブルース的でも無く、無理矢理ソウル的な物をミックスした中途半端な音で第2期ジェフ・ベック・グループ程衝撃的で斬新な音になら無かったのが誤算でした。実はこのバンドが第2期ジェフ・ベック・グループになるはずが、ベック自身が交通事故に合い、その回復をボガード&アピスが待てず『カクタス』を結成してしまい、ベックはしょうがなく第2期ジェフ・ベック・グループを結成。順番が逆になった感じです。 そしてベックはスティービー・ワンダーに「迷信」を貰うんですが、『ベック・ボガード&アピス』の目玉曲にするつもりが、リリースする前にスティービー・ワンダーに「迷信」を発売されスティービー・バージョンは大ヒット。べックの目算大はずれに。短命なバンドになってしまいました。しかしライブ盤は非常に緊張感のあるいい演奏で、大好きです。ボガード&アピスはこのアルバムで名前を上げました。特に「迷信」のでアピスのドラミングは衝撃的で、その後に多大なる影響を日本のミュージシャンに与えたと思います。第2期ジェフ・ベック・グループも短命でしたがジェフ・ベックの方向性を決定ずけたのはこのバンドの経験が大きかったんでは無いかと思います。ソロに成ってもこの路線の延長上でしばらくやってましたから。特に『ギター殺人者の凱旋』(このタイトルの付け方は最高です)はベック最高傑作では無いでしょうか。 |
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